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歴史・伝統

南条エリア

上野はねそ踊り

上野はねそ踊り

上野はねそ踊りの「はねそ」はススキの穂のことと言われ、日々の暮らしの中で満たされない思いや、はかない夢、そして往来する男女の心情等を唄や踊りで表現しています。現在は栄泉寺の盆踊り、天の川フェスタなどで伝承されています。

今庄エリア

今庄羽根曽踊り

今庄羽根曽踊り

今よりさかのぼること千有余年、醍醐天皇時代の延嘉年間、今庄西方の藤倉山腹の藤勝寺で舞われた稚児舞が起源と伝えられています。宿場町が栄えるにつれて、盆踊りとなり、街道を通る旅人の心をなぐさめたといわれる踊りです。その50数種にも及ぶ振り付けは、情緒豊かで素朴な味わいがあります。現在の踊りに見られる武士、僧侶、町人、女中、百姓などの変装は当時の名残です。昭和39年には福井県無形文化財に指定されました。

八坂神社の獅子舞

八坂神社の獅子舞

鎌倉時代はじめ「八飯」に悪病がはやり、村人が氏神に祈ったところ「都の彫刻師が立派な獅子頭を作って持っているから、それを村に持ち帰りかぶって家々を舞い歩け」とのお告げがありました。お告げどおりすると、たちまち悪病が治まったという云われのある獅子舞です。昭和48年に福井県無形民族文化財として指定されました。

河野エリア
糠どっさり

糠どっさり

糠どっさりは門付け歌といって、室町時代に人家の前で唄われていたものといわれています。「どっさり」とは、宝物がこの家にどっさり積まれることをいう縁起のいい言葉です。この歌詞は船乗りたちによって江戸から越後へ、越後からは船頭衆に受け継がれ、積荷がどっさりの語呂が合うことが船頭たちに喜ばれて、日本海沿岸の海を文化と共に南下して佐渡から島根の隠岐へ、さらに隠岐から糠へ伝わってきました。この唄が現在唄われている地域は全国的に見ても大変少なく、隠岐の島と糠と中国地方に1ヶ所の3ヶ所くらいといわれています。
歌詞は隠岐も糠も同じですが、曲のテンポに違いがあり、隠岐ではテンポが速いのに対し、糠では遅いのが特徴です。これまでは、結婚式や棟上式などの祝い事の日などによく唄われてきましたが、現在ではこの唄を唄いこなせる人は少なくなってきています。

甲楽城来いとさ

甲楽城来いとさ

起源は嘉永年間といわれており、とくに二ノ宮神社が創建された嘉永5年頃から盛んに踊り継がれているといわれています。戦後間もない昭和20年、日本各地では素人演芸会が流行しており、河野でも盛んに競演されていました。演芸会での甲楽城青年団による出し物が「甲楽城来いとさ」でした。当時の青年団は12~13歳で入団して小若衆となり、18歳で大若衆へと格上げになりました。昇格するためには決まりがあり、この「来いとさ」を唄い、踊ることができなければならなかったということ。
儀式の踊りとして永く伝えられてきたようです。現在では演奏に尺八、三味線、太鼓を取り入れ、充実感や迫力感も増してきた「甲楽城来いとさ」。甲楽城の素朴な生活の中で生まれ、唄い踊り継がれてきています。

越前杜氏

越前杜氏

河野の伝統産業のひとつとして「越前杜氏」があげられます。越前杜氏といえば、日本清酒界を代表する伏見の清酒を、その越前流技術によって造り育てたとして有名です。文献や口説によれば、天明の頃、糠浦の某が京都伏見において献身的な奉公ぶりと技術を買われ、杜氏に採用されたのが越前杜氏の嚆矢とされています。冬の日本海は季節風が吹き荒れ、漁に出ることが出来ないので、昔から漁師として生計を立てていた糠区では、冬の間の仕事として酒造りの出稼ぎが次第に広がっていきました。明治44年に糠を中心に越前杜氏組合が組織されて以来、全盛期には1500人の組合員が伏見をはじめ、灘大阪、滋賀の十数府県に送り出されましたが、今はわずかの人たちによって受け継がれているのみとなっています。永い年月を経て、越前杜氏によりさまざまな銘酒が生み出されてきました。そのまろやかできめ細かな独特の味は、越前流技術によって育てられたものであると、今もなお讃えられています。