中村家は伊予国河野水軍の流れを汲み、南北朝時代の金ヶ崎合戦では
南朝方新田義貞の傘下として戦いに加わり、
その後河野浦の移り住んだと伝えられています。
江戸時代には庄屋役を務め、廻国巡見使の一番御宿も勤めました。
また江戸時代中期から廻船業を創業し、右近権左衛門家とともに
日本海沿岸有数の北前船主として隆盛を誇りました。
明治7年には、右近権左衛門とともに武生から春日野を経て
河野浦に出る「春日野新道」を整備しました。
さらに武生・敦賀間の物資輸送を担う海陸運送会社を設立し、
河野・敦賀間に小型蒸気船の航路を開設するなど、地域交通の発展にも
多大な功績を残しました。
中村家住宅は山側に居宅となる主屋と新座敷及び土蔵2棟が建ち、
海側には薬医門と土蔵4棟が、海風から主屋を守るように建っています。
主屋は明治20年の建築で一部2階建ての平入りです。内部は板張りの台所、
8室の座敷と庭があります。新座敷は大正2年の建築で1、2階は客間座敷、
3階は日本海を望む望楼座敷からなる建物で、欅造りの洋風階段で結ばれており、
ここからの眺望はまさに絶景です。
【開館日】通常非公開(年に数回不定期で公開)
※今後、特別公開等がございましたら随時お知らせいたします。