江戸時代初期から廻船業と関わりの深い金相寺は右近家、中村家をはじめとする船頭や船乗りたちの菩提寺となっています。
元禄期(江戸時代中期)に中村家より分家。河野浦の庄屋職を務め、中村家の船頭も長く務めました。建物には笏谷石が多く使われています。
刀禰家は府中総社の鍵取り(神社の鍵や祭りをつかさどる役目)として長く仕えました。農業、郵便事業などを営んでいました。